河野恒吉
日本の陸軍軍人 (1874-1954)
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経歴
山口県出身[1][2][3]。河野房祐の二男として生れる[1]。成城学校(現成城中学校・高等学校)、陸軍幼年学校を経て、1896年(明治29年)5月、陸軍士官学校(7期)を卒業[2]、翌年1月騎兵少尉に任官し騎兵第3連隊付となる[1][4]。1902年(明治35年)11月、陸軍大学校(16期)を卒業[1][2][3]。同月、騎兵大尉に昇進し騎兵第3連隊中隊長に就任[1]。1903年(明治36年)11月、陸軍騎兵実施学校教官に転じ、1904年(明治37年)4月から1906年(明治39年)1月まで日露戦争に出征[1]。この間、第2軍参謀を務めた[1]。
1906年(明治39年)2月、参謀本部員(戦史)となり、1907年(明治40年)12月、騎兵少佐に昇進[1]。1912年(明治45年)1月、朝鮮総督府付武官に就任し、同年6月、騎兵中佐に進んだ[1][3]。1915年(大正4年)1月、騎兵第12連隊長に転じ、1917年(大正6年)8月、騎兵大佐に進み騎兵第1連隊付となる[1][3]。同年9月から1919年(大正8年)9月まで欧州に戦線視察のため出張[1][2][3]。1919年7月、騎兵第16連隊長に発令され、1921年(大正10年)7月、陸軍少将に進級し待命となる[1][2][3]。同年11月、予備役に編入された[1][2][3]。
栄典
著作
- 『陸海軍は党せず : 附・青少年訓練』更新社、1925年。
- 『戦はずして勝つ』新光閣、1934年。
- 『国史の最黒点』前編・後編、時事通信社、1963年。