河野齢蔵
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信濃国安曇郡犬飼新田村(現長野県松本市島内)に庄屋を務めた河野通重の四男として生まれる。1889年長野師範学校卒業。上水内学校訓導を命ぜられ、1890年に大町小学校長となる。
1897年長野師範教諭、同年長野高等女学校教諭、1902年下伊那高等女学校教諭などを経て、1906年長野県諏訪高等女学校、長野県松本女子師範学校などの教頭、1913年上伊那農学校校長、1916年長野高等女学校校長、1922年諏訪高等女学校校長などを歴任した。
1892年ころから教職の傍ら、植物の研究に勤しみ、北アルプスや八ヶ岳、北海道・千島列島・樺太の山に登山をし、高山植物の研究の傍ら山岳写真を撮影。山岳に関する多くの論考を学術雑誌に掲載し、近代登山の隆盛に資した。1906年に信濃博物会を結成、1910年に信濃山岳会を発足させ副会長となる。