沼田嘉一郎
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大阪府・沼田勇吉の長男[12][14][15][16]。大阪市生まれ[2][3][9]。母親の里である和歌山県西牟婁郡朝来村に幼少時代を過ごす[17]。1885年、先代ミワの養子となり後家督を相続する[12][13][15]。
漸次家運を隆興に導き、財を積む[4]。1904年、南区の青年会から推されて区会議員になる[11]。1913年、選ばれて市会議員の要職に就く[4]。1924年、衆議院議員に当選。政友本党[2]、立憲政友会[6][9][16]に所属。
西浜土地建物会社重役、都市計画大阪地方委員会委員、宅地賃貸価格調査委員、国勢調査委員、中央市場設置調査委員、大阪府方面委員常務委員理事、借地借家調停委員等に推される[15]。
人物
人柄
嘉一郎の幼い頃、家は豊かではなかった[4]。幼い頃より父祖の業に携わっていたので、学ぶべき暇はなく、何ら数えるべき学歴は有していない[4]。小学校の課程を終えたのみで、余は独学独行する[4]。
宗教は真宗[16]。趣味は銃猟[16]。大阪府在籍で[13][15]、住所は大阪市浪速区西浜南通三丁目[4][13][16](現・浪速西[18])。東京宅は東京市赤坂区新坂町[16]。
評価
寺田蘇人著『部落の人豪』に大阪市の部落有力者として沼田嘉一郎の名前が挙げられ、「頭脳明敏にして其の辣腕快刀乱麻を断つの概あり」と評されている[1]。
奥田豊吉著『現代政治の解剖 代議士略伝寸評』によると、「演説も出来るが単に報告的のものに止り、主義主張を高調するとか、独自の所論を吐くことはない。根底がなく只人並に演壇に立ってしゃべるというようにしか見えぬ」という[19]。