沼田製粉
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〒932-0115
富山県小矢部市津沢372
北緯36度37分25.1秒 東経136度53分45.6秒 / 北緯36.623639度 東経136.896000度座標: 北緯36度37分25.1秒 東経136度53分45.6秒 / 北緯36.623639度 東経136.896000度
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| 種類 | 株式会社 |
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| 市場情報 | 非上場 |
| 本社所在地 |
〒932-0115 富山県小矢部市津沢372 北緯36度37分25.1秒 東経136度53分45.6秒 / 北緯36.623639度 東経136.896000度座標: 北緯36度37分25.1秒 東経136度53分45.6秒 / 北緯36.623639度 東経136.896000度 |
| 設立 | 1830年 |
| 業種 | 食料品 |
| 法人番号 | 9230001009067 |
| 事業内容 |
製粉事業・飼料事業・ 製麺事業・食品製造事業 |
| 代表者 | 代表取締役 沼田久美子 |
| 資本金 | 5000万円 |
| 従業員数 | 35人 |
| 外部リンク | http://www.numada-seifun.com/ |
沼田製粉株式会社(ぬまだせいふん)は、富山県小矢部市津沢地区に本社を置く製粉・製麺メーカー。天保元年(1830年)創業[1][2]。1974年(昭和49年)設立[1][2]。
富山県で唯一の製粉業社であり、北陸地方3県の製麺業者やパン業者などに小麦粉を供給しているほか、乾麺を製造販売して関東地方や関西地方に販売している[3]。

礪波郡津沢村(現・小矢部市津沢地区)は小矢部川の水運で栄えた地域であり、砺波平野における米の集積地の一つだった[4]。天保元年(1830年)、米穀商・肥料商として創業した[5]。1940年(昭和15年)には戦時体制における経済統制によって米穀商と肥料商を廃業した[4]。
1941年(昭和16年)、業種転換して製粉所としての操業を開始した[5]。戦後混乱期には瓦、石鹸、米ぬか油などを手掛けた時期もある[4]。戦後の1950年(昭和25年)には食糧管理制度に基づく小麦の統制が解除され、学校給食用小麦粉加工工場に指定された[5]。1965年(昭和40年)には飼料用大麦加工工場に指定され[5]、全国農業協同組合連合会や全国飼料事業協同組合の委託加工を開始した[4]。1971年(昭和46年)には古々米飼料用変形加工工場に指定された[5]。
昭和40年代には小麦の政府買入価格が据え置かれたことで、富山県にあった製粉業者4社のうち3社が廃業して沼田製粉のみとなった。1974年(昭和49年)には沼田製粉株式会社を設立し、製粉工場を増設して日産能力が107トンになった[5]。
1975年(昭和50年)には合板接着剤用新工場が完成した[5]。1970年代後半には富山県からカドミウム汚染米の処理について相談を受け、蒸気加熱されたパイプの中で米を圧縮・粉砕して製造する合板用接着剤を製品化した[4]。また、沼田製粉がライ麦を用いて製品化した鋳物用補助粘結材は、トウモロコシなどを用いた粘結材を比べて安価であり、小松製作所、トヨタ自動車、鈴木自動車などに納入している[4]。
1977年(昭和52年)には原料サイロを増設し、収容能力が1045トンになった[5]。沼田益太郎(6代目沼田太右衛門)は沼田製粉社長を務めるとともに小矢部市議会議員を務め、1972年(昭和47年)に加越能鉄道加越線が廃止される際には廃線反対運動の先頭に立った[6]。沼田益太郎は1978年(昭和53年)から1980年(昭和55年)まで小矢部市議会議長を務めている[7]。
1988年(昭和63年)には製麺工場(岩武工場)を新設した[5]。1987年(昭和62年)時点では沼田製粉を含む大手4社で全国シェアの75%を占めている[4]。1992年(平成4年)にはそば工場を新設した[5]。
主な製品
関連会社
- 津沢倉庫株式会社
- 株式会社パンエリート