鹿児島県生まれ[2]、加世田市(現南さつま市)出身[3]。1926年鹿児島県立川辺中学校(旧制、現鹿児島県立川辺高等学校)四年修了[2]。1933年から加世田町役場に勤務し[2]、書記を務め[1][3]、1945年より税務主任[3]。1947年8月加世田町助役に就任し、1954年7月に加世田町と万世町が合併して加世田市となるまでに2期務める[4]。合併後の新市長就任までの間、市長職務執行の代理者を務める[4]。1954年9月から1962年7月まで加世田市収入役(初代、2期)[4]。1962年8月の市長選挙に立候補をして松山賢太郎初代市長と争って当選し[4]、1962年8月10日[5]、第2代加世田市長に就任[4]。加世田市長計6選[1]。市長在任中に、市木・市花の制定、各種施設(市民会館、久木野運動場、老人福祉センター、新市庁舎、商工会館、総合運動公園体育館・陸上競技場、市野球場)の完成・落成、市文化祭の開催など[5]。3期目の1969年11月、地方自治功労により藍綬褒章受賞[2]。また、加世田市観光協会会長、鹿児島県卸売市場審議会委員なども務めた[1]。1986年2月10日、肺不全により77歳で死去[1]。