法皇山横穴古墳
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4号横穴墓出土の須恵器双耳壺
加賀市教育委員会蔵、愛知県陶磁美術館展示時に撮影。
江沼盆地の動橋川東岸、舟見岳より派生する丘陵の北端部にある法皇山塊の凝灰岩質地盤に造営された。
1921年(大正10年)・1922年(大正11年)に上田三平が26基を調査したのを皮切りに、1964年(昭和39年)~1966年(昭和41年)の石川県立大聖寺高等学校による調査、1967年(昭和42年)~1968年(昭和43年)の保存事業に先立つ調査を経て合計77基の横穴墓が確認されている。また山全体の総数は150~200基に達すると推定され、北陸地方最大の規模を誇る[2]。
この横穴墓群は、横穴墓の密度が高いことや、複数の玄室をもつもの、長さ10メートルにおよぶ家形天井の玄室をもつ横穴墓などが注目されている[3]。
遺物は須恵器、土師器、鉄刀、刀子、鉄鏃、耳環に限られていて、横穴墓間の格差や支群間における差が少ないことが特徴とされる[3]。
副葬品の年代から6世紀後半から7世紀末にかけてのおよそ150年間にわたって造営された横穴墓群であったと考えられている[2]。
