波平陸軍補助施設

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種類ミサイルサイト
面積40,500㎡
使用期間1945-1974年
波平陸軍補助施設
Namihira Army Annex
FAC6035
沖縄県読谷村波平・都屋
波平陸軍補助施設(1970年)
国土地理院 空中写真より
種類ミサイルサイト
面積40,500㎡
施設情報
管理者沖縄の米軍基地アメリカ陸軍
歴史
使用期間1945-1974年
1972年、沖縄の本土復帰当時では、読谷村の村土約73パーセントが米軍基地であった。

波平陸軍補助施設(なみひらりくぐんほじょしせつ、英語: Namihira Army Annex)は、沖縄県読谷村波平・都屋に所在したアメリカ陸軍のミサイルサイト。1974年に日本へ返還された。

読谷村の「波平サイト」とよばれていたミサイル・サイトは、沖縄返還協定了解覚書A表で「波平陸軍補助施設」と改称された。

  • 旧称:「波平サイト」(Site Hanza)
  • 改称: 「波平陸軍補助施設」(Hanza Army Annex)[1]
  • 場所:読谷村字波平・字都屋
  • 施設番号:FAC6035
  • 面積:約40,500平方メートル
  • 施設:司令部、兵舎、倉庫(鉄筋コンクリート建造物22棟)、自動車修理場・倉庫等(鉄骨造8棟)、光熱センター(木造1棟)、計31棟[2]

ハンザの名称

サイト・ハンザ

読谷村都屋・波平にあった「波平サイト」を米軍が「サイト・ハンザ」(Site Hanza) と呼ぶのは、「波平」(なみひら) の沖縄での口語に基づく。「波平」は、もともとの琉球語で「はびら」と発音し、それが沖縄口語で「はんじゃ」「はんざ」へ音韻が変化したものと考えられている[3][4]

キャンプ・ハンザ

また、読谷村楚辺にあった「楚辺通信所」通称「象の檻」も、米軍の名称で「キャンプ・ハンザ」とよばれていた。

歴史

跡地開発

脚注・出典

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