名古屋高等工業学校の出身で、卒業後は東京市臨時建築局学校建設課に勤務。大正15年(1926)開催の神奈川県庁舎懸賞設計に応募し、三等二席に入選[3]。1927年(昭和2年には西村好時が所属する第一銀行に勤め、西村の独立とともに西村設計事務所に移った。
1935年開催の朝鮮総督府始政25周年記念博物館の競技設計では佳作[4]。
昭和19年(1944年)に西村の元を離れ、昭和46年(1971)まで鹿島建設に勤めた。鹿島時代は工事管理部門を担当。鹿島退職後は片山建築事務所に移り、そこでも工事管理部門を担当。