高崎市の呉服商だった山田徳蔵(1885年 - 1964年)が、1919年から1964年までの間、手作業により洞窟を掘削した。約400mの洞窟内に彼岸の楽土をイメージして、浅間山の噴石を含む銘石等が配置され、39体の観音像が安置されている。
鍾乳洞と勘違いする観光客もいるが人工の地下道で、山田は総延長800mまで掘り広げる考えだったと伝えられる。太平洋戦争中、山田は防空壕としての使用も想定して準備したほか、陸軍が物資貯蔵庫として借り上げた[3]。
同じ敷地内に、徳明園、山徳記念館がある。隣接地に観音山公園がある。