津和野百景図

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作者栗本格齋
製作年1910
寸法30 cm (12 in)
『津和野百景図』
第一図 三本松城
作者栗本格齋
製作年1910
寸法30 cm (12 in)

津和野百景図(つわのひゃっけいず)は、津和野藩第11代藩主・亀井茲監(かめいこれみ)公の業績を集大成した「以曽志乃屋文庫(いそしのやぶんこ)」に収められていた、江戸時代後期の津和野を描いた100枚の絵図である[1]

1910年(明治43年)4月に津和野藩の御数寄屋番の栗本格齋(本名:栗本里治)[2]が4年の歳月をかけ百景図(全5巻)を完成させた。

2015年(平成27年)に文化庁により、この「津和野百景図」と、現在の津和野の姿とを見比べながらまち歩きを楽しむというストーリーが日本遺産に認定された[3]

石見国津和野藩である亀井家14代目当主亀井茲常(かめいこれつね)が、最後の藩主であった亀井茲監の業績をまとめさせた「以曽志乃屋文庫(いそしのやぶんこ)」、その中に収められた文書のひとつが津和野百景図である。藩内の名所や風俗、食文化などを100枚の絵と詳細な解説を加えた全5巻[4]の構成となっている。1巻の幅は約30㎝、広げると長さは約10メートルになる[5]

津和野百景図は、藩主の側に仕えて茶礼と茶器を扱う仕事(御数寄屋番)を努めた栗本格齋が、亀井家の依頼を受けてまとめ[6]1917年(大正6年)7月に完成させた[7]

鷺舞」「流鏑馬」「津和野城跡」「津和野藩校養老館」など、津和野ならではの街並みや伝統行事、桜や紅葉の名所、鮎が泳ぐ川など自然景観を残した資料である[3]

沿革

栗本格齋は1845年(弘化2年)に生まれ、後に栗本家の養子となり、津和野藩に御数寄屋番として仕えた。廃藩後、1896年(明治29年)に津和野を出て京都へ移った[8]。津和野百景図は、京都に栗本格齋が移り住んだ後に亀井家14代当主亀井茲常からの依頼で描かれたものである。

津和野百景図の各絵図裏面の解説文には1910年(明治43年)、1911年(明治45年)、1913年(大正2年)の月が示されていることから、1910年から1913年の4年間で描かれたことがわかり、津和野百景図の序文から、1917年(大正6年)7月までにまとめられたことがわかる[9]

津和野百景図は亀井家が所蔵した「以曽志乃屋文庫」に収められ、2002年(平成14年)に亀井氏から津和野町教育委員会に寄贈された[10]

目録

活用事例

脚注

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