津屋崎飛行場
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| 津屋崎飛行場 (Fukuma Airfield) | ||||||||||
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滑走路が交差していた場所。現在、2本の滑走路はいずれも道路となっている。(2021年10月撮影) | ||||||||||
| IATA: なし - ICAO: なし | ||||||||||
| 概要 | ||||||||||
| 国・地域 |
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| 所在地 | 福岡県宗像郡津屋崎町(現・福岡県福津市) | |||||||||
| 種類 | 軍用(秘匿飛行場) | |||||||||
| 運営者 | 大日本帝国陸軍 | |||||||||
| 開設 | 不明 | |||||||||
| 閉鎖 | 不明 | |||||||||
| 座標 | 北緯33度47分1.5秒 東経130度28分31秒 / 北緯33.783750度 東経130.47528度座標: 北緯33度47分1.5秒 東経130度28分31秒 / 北緯33.783750度 東経130.47528度 | |||||||||
| 地図 | ||||||||||
| 空港の位置 | ||||||||||
| 滑走路 | ||||||||||
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滑走路の長さは米軍資料準拠。元はフィート表記でメートルに換算した(3400ft→1036m, 2400ft→731m, 2100ft→640m)。 | ||||||||||
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| 空港の一覧 | ||||||||||
津屋崎飛行場(つやざきひこうじょう)は福岡県宗像郡津屋崎町(現・福岡県福津市津屋崎および宮司)に存在していた大日本帝国陸軍の秘匿飛行場。アメリカ軍にはFukuma Airfield(福間飛行場)として認識されていた[1]。
九州国防訓練場
本土決戦の特別攻撃を任務とするため、全国各地に急遽建設された秘匿飛行場の1つである。福岡県内には津屋崎の他に甘木(陸軍)・春日(海軍)・直方(海軍)の存在が確認されているが、津屋崎を含め、いずれも実際に使用された記録はない[2]。
現在の福岡県道502号玄海田島福間線が通る真光寺北側一帯(後の宮司・津屋崎・在自地域)の113ヘクタールほどのエリアは九州国防訓練場が存在する松林だった。
1942年(昭和17年)の暮れ、ガダルカナル島の戦いにより戦局が厳しくなった情勢下で新聞社[注釈 1]が「九州の青少年を集め、高射砲、落下傘、グライダー、戦車、機動船などの軍事訓練をさせて戦力にしよう」と社告を行った。これにより一般から募金300万円、津屋崎町からの寄付20万円などが集まり、用地買収・整地・設備建設(兵舎2棟・炊事場・浴場など)が行われた。また、当時の三菱財閥でもこの国防訓練場の建設に関する寄付が議題に上ったとの記録も残っている[3]。1944年(昭和19年)12月に国防訓練場は開場し、地元を始め各地の青少年約3000人が訓練に参加し、落下傘部隊降下演習などが実施された[4]。
しかしながら、戦局が悪化したことで1945年(昭和20年)4月、陸軍の希望で献納され、本土決戦に備える陸軍の秘匿飛行場に転換された[5]。
秘匿飛行場として
秘匿飛行場は幅30m×長さ600mの滑走路を基本としていた[2]とされるが、津屋崎飛行場が公式にどのような滑走路を持っていたかは不明である。ただし、アメリカ軍の資料には以下のような記載がある。
この記述ならびに同資料巻末の航空写真によれば、北西/南東の方向の滑走路および南北の滑走路の2本が存在しており、斜めに交差していた。