素封家[1]・津村重兵衛の長男として紀伊国那賀郡、のちの和歌山県那賀郡山崎村(岩出町を経て現岩出市)で生まれる[1][4][5]。1904年(明治37年)3月、家督を相続し紀陵と改名した[1][5]。
1884年(明治17年)中野黒木村外8カ村戸長に就任[4]。和歌山県会議員を経て、紀南索道、野上軽便鉄道、秋津川水力電気各社長、和歌山倉庫銀行取締役などを歴任した[4][5]。1918年(大正7年)6月[4]和歌山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した[4]。在任中は交友倶楽部に所属した。