洪鐘宇

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洪 鍾宇 1895年

洪 鍾宇(こう しょうう、홍종우、ホン・ジョンウ、1850年 - 1913年(推定)) は、李氏朝鮮末期の両班。議政府参事の洪在源の子。豊かな家に産まれ、日本の開化に関心を持ち日本へ私費留学、さらに日本人の支援でフランスに留学、日本帰国後に開化派と接近出来ることから亡命中の開化派の著名な主導者金玉均の暗殺を閔妃側の人物より依頼された。清国に誘い出して金玉均を暗殺。清国から朝鮮に返還され、論功により官吏に任用されたものの、日本の朝鮮進出の激動の中で権力抗争もあって退けられ、一時は親フランス派の巨頭と目されるまでになったこともあるが、最終的に済州島牧使という地方高官の地位を得るにとどまった。そのため、失意の内に愛人とともにフランスへと去った以降は記録が残ってない[1]は聲粛、は羽亭。本貫は南陽。日本留学中はたちまち日本語に通暁、大阪で朝日新聞社の植字工(印刷工)を務めたこともあるが、まもなくやめ、自由党土佐派の民権運動に参加している。

生い立ち

参考資料

脚注

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