文永年間(1264年 - 1275年)、広恵上人によって開山された。広恵上人は当地で行基作と伝えられる千手観音を見つけ、観音堂を設けた。これが当寺の起源である[1]。
大永年間(1521年 - 1527年)、源義仲の末裔を称する大石氏の一族大石道俊には、後継者となる息子がいなかった。そこで当寺の千手観音に祈ったところ、息子を授かることができた。このご利益に感謝し、1525年(大永5年)に僧長尊を招き、当寺を中興した[1]。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めの戦火を免れることができた。江戸時代は14の末寺があったという[2]。
当寺の裏山には、大石氏が築城した浄福寺城がある[1]。