郷土の先輩、原敬の書生となり、中央大学で学んだ後、1917年に東京毎夕新聞記者特派員として渡米、1924年から朝日新聞米国西部沿岸通信員を務めた。1946年、サンフランシスコの代表的邦字紙「日米時事」を発刊し、社長となる。在米日本人、日系人の権利擁護、拡張のための民権擁護協会、帰化権獲得同盟に参加した。
日米親善と在留邦人の地位向上に貢献したことで、1973年に勲三等瑞宝章を授与される。1987年にはサンフランシスコ市から「日系人への貢献、ララ物資の送付、日米親善への尽力」により表彰を受け、表彰を受けた5月16日がサンフランシスコ市における「浅野七之助デー」とされた[1]。