浅野春道
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尾張国一宮浅野の出身。明和6年(1769年)、医者の家に生まれた。浅井紫山の医学館で医術を学び、講師の野間林庵(5代)が浅野の面倒を見ていた。京都の小野蘭山に本草学を学び、さらに長崎に遊学した。帰郷後、名古屋の鍋屋町で町医者となる。
文化11年(1814年)、名古屋藩奥医師(藩医)に抜擢される。藩より居宅拝領があったが辞退し、元の家に住み続けた。奥医師として藩内の医師を監督する傍ら、珍しい品物や古銭を収集し、盆栽を愛し、変わった草花を好んだ。水谷豊文、大窪太兵衛、石黒済庵、岡林清達、柴田洞元、西山玄道、浅野文達、大河内存真らと定期的に本草会を開き、薬物の鑑定大会、『本草綱目』の講読等を行った(のちの嘗百社)。尾張本草学の中心人物の一人。
医術の門弟に三村玄澄、高田正敬などがいる。本草学の門弟には、水谷豊文らがいる。
天保11年(1840年)正月3日死去。芋やその切干が好物で、命日には墓前に供えられたという。