浅野邦子
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金沢へ
金沢箔工芸品の開発
苦しむ夫を見て邦子は一計を案じる。金沢箔の用途を広げるために、日常使うような食器やインテリア用品に金沢箔をあしらい「金沢箔工芸品」と名付けて売り出した。当初は業界内部からの反発や、知名度の無さからくる営業不振などで苦労するが、やがて百貨店での催事をきっかけに販売が軌道に乗りはじめ、事業が拡大していく[3]。
金箔打紙製法あぶらとり紙の開発
金沢箔業界最大のヒットともいえるのが「金箔打紙製法あぶらとり紙」の開発である。金沢市の箔打ちの最大の特徴は和紙を用いることにある。和紙に金や銀などの金属片を挟んでハンマーで打ちつけると、和紙の伸縮力によって金属を水平方向に延ばすことができる。この和紙を「箔打ち紙」と言い、柿渋や卵白、灰汁に浸すなどして半年ほどかけて作られる。この和紙は、長期間箔打ちに用いられていると、やがて伸縮する力が弱くなって使用期限を終える。この使い古した和紙は、表面が極めて艶やかになっており、肌につけると皮脂をよく吸い取る性質があった。このことから、「あぶらとり紙」として再利用されていた。この「あぶらとり紙」は京都の芸子や役者に人気で、需要があることはわかっていたが、大変に希少なものであり、仕入れるのは困難だった。「無いのなら、自分で作ってしまえばいい」。そう考えた邦子は、自ら和紙を仕入れて箔打ちと同じ要領で打ち、やがて安定的な生産方法を開発する。1976年に「金箔打紙製法あぶらとり紙」として発売すると大ヒットとなり、日本中のメーカーからのOEM製造を請け負うなど、金沢箔業界を支える商品へと成長した[4]。
食用金箔の開発
経団連理事
後進の育成
自らが女性起業家として苦労をしてきた経験から、将来を担う自立した女性経営者が互いに研鑽しあう場の創出を目的に1993年に5名の会員で勉強会を始める。その後金澤レディースベンチャークラブ、金澤レディース経政会と名称を変更し、2022年4月より一般社団法人化となった。2026年3月では、41名の会員が活動を続けている[8]。