浅間神社 (秩父市)
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位置
北緯35度57分11.5秒 東経139度01分26.0秒 / 北緯35.953194度 東経139.023889度座標: 北緯35度57分11.5秒 東経139度01分26.0秒 / 北緯35.953194度 東経139.023889度
主祭神
木花之佐久夜毘売命
社格等
村社
| 浅間神社 | |
|---|---|
| 所在地 | 埼玉県秩父市荒川日野972-3 |
| 位置 | 北緯35度57分11.5秒 東経139度01分26.0秒 / 北緯35.953194度 東経139.023889度座標: 北緯35度57分11.5秒 東経139度01分26.0秒 / 北緯35.953194度 東経139.023889度 |
| 主祭神 | 木花之佐久夜毘売命 |
| 社格等 | 村社 |
| 創建 | 昌泰3年(900年) |
| 別名 | 弟冨士浅間神社 |
900年(昌泰3年)に創建された。この年に筑紫国造の末裔の石井大上睦則[1]が駿河国(現・静岡県)の富士山本宮浅間大社から分霊を勧請して創建した。当初は「座成山」という山に位置していた。ところが、翌年の901年(延喜元年)6月14日になり、睦則は「この山は吾住むべき山にあらず、他に遷し換へるべし」という霊夢を見た。そして、ある山に季節外れの降雪があった。この奇瑞を浅間大社に報告すると、その降雪した山に「弟冨士」と名付け、そこに遷座するよう指示した。これが当社の奥宮の由来である[2][3]。
当社は歴史ある神社であることもあり、過去には平将門・藤原秀郷・畠山重忠・長尾景春などが参拝したと伝えられる[2]。
当初、弟冨士山の降雪した場所(八合目以上)は神域とされ、当時の富士山に倣い女人禁制であった。寛文年間(1661年 - 1673年)、麓の現在の秩父市立荒川中学校の体育館がある場所に「女人参詣所」を設けた。やがて、その女人参詣所が「里宮」となり、山頂の社殿は「奥宮」となった。現在は弟冨士山の女人禁制は解除されている[2][3]。
1872年(明治5年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられた[2]。
1967年(昭和42年)、埼玉県で第22回国民体育大会(埼玉国体)が開かれることになった。それを機に、隣の荒川中学校で体育館の建設計画が立案されたことから、前年に現在地に移転した[2][3]。
文化財
- 浅間神社神楽(秩父市指定無形民俗文化財 昭和34年4月10日指定)[4]
交通アクセス
- 武州日野駅より徒歩3分。