浜弘一

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浜弘一

浜 弘一(はま こういち、嘉永元年5月15日1848年6月14日〉 - 1920年大正9年〉5月31日)は、明治時代から大正時代にかけての日本官僚会計検査院の制度整備に尽力し、日本の立憲的会計監督機関の礎を築いた人物として知られる。最終官位は従二位、勲等は勲一等旭日大綬章岐阜県(旧美濃国大垣)出身[1]。幼名は久賀蔵

嘉永元年(1848年)、大垣藩士の家に生まれた。幼少の頃より藩儒・野村藤陰に学問を学ぶ。明治4年(1871年)2月29日、大蔵省に出仕して監督大令使に任ぜられたのを皮切りに、監督権少佑、検査少属、検査大属などを歴任し、明治9年(1876年)には検査権助に進む。その後、大蔵権少書記官、少書記官を経て、明治13年(1880年)3月、太政官少書記官・三等検査官を兼ねて会計部勤務を命じられた[1]

この時期、浜は新設された会計検査院の創設事務に深く関わり、制度設立において中心的役割を果たした。明治14年(1881年)6月には二等検査官、翌15年(1882年)1月には検査官および検査第二部長に任命され、官界における地位を確立した。明治19年(1886年)には審査第一部長に昇任し、以後大正6年(1917年)に退官するまでの27年間、第一部長として会計検査院の中心に立ち続けた。

明治20年(1887年)には渡邊昇会計検査院長の欧米視察に随行し、平塚定二郎らと共に各国の会計制度を調査。視察の成果をもとに、日本の会計監督制度を立憲的・近代的な形へ発展させるための制度改正を主導した。帰国後は会計法および明治14年の会計検査院事務章程の改訂や運用に深く関わり、日本の財政統制制度の確立に寄与した[1]

明治22年(1889年)には帝室制度取調委員に任ぜられ、さらに明治28年(1895年)には臨時軍事費検査委員長、明治29年(1896年)には台湾総督府支庁創立事務取調委員長を務めた。明治33年(1900年)には会計検査官懲戒裁判所予備裁判官を兼任している。

その長年の功績により、明治33年(1900年)に従三位に叙せられ、明治40年(1907年)には勲一等瑞宝章を受章。明治42年(1909年)に正三位となり、大正4年(1915年)には勲一等旭日大綬章を授けられた。大正6年(1917年)に本官を免ぜられる際には特旨により一級進み従二位に叙され、翌年錦鶏間祗候となった。大正9年(1920年)5月31日、病没。享年73 [1]

その生涯のうち実に48年間を会計監督業務に捧げ、制度創設から発展までを支えた功労者とされる[1][2]

会計検査制度への貢献

脚注

参考文献

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