浜弘一
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嘉永元年(1848年)、大垣藩士の家に生まれた。幼少の頃より藩儒・野村藤陰に学問を学ぶ。明治4年(1871年)2月29日、大蔵省に出仕して監督大令使に任ぜられたのを皮切りに、監督権少佑、検査少属、検査大属などを歴任し、明治9年(1876年)には検査権助に進む。その後、大蔵権少書記官、少書記官を経て、明治13年(1880年)3月、太政官少書記官・三等検査官を兼ねて会計部勤務を命じられた[1]
この時期、浜は新設された会計検査院の創設事務に深く関わり、制度設立において中心的役割を果たした。明治14年(1881年)6月には二等検査官、翌15年(1882年)1月には検査官および検査第二部長に任命され、官界における地位を確立した。明治19年(1886年)には審査第一部長に昇任し、以後大正6年(1917年)に退官するまでの27年間、第一部長として会計検査院の中心に立ち続けた。
明治20年(1887年)には渡邊昇会計検査院長の欧米視察に随行し、平塚定二郎らと共に各国の会計制度を調査。視察の成果をもとに、日本の会計監督制度を立憲的・近代的な形へ発展させるための制度改正を主導した。帰国後は会計法および明治14年の会計検査院事務章程の改訂や運用に深く関わり、日本の財政統制制度の確立に寄与した[1]
明治22年(1889年)には帝室制度取調委員に任ぜられ、さらに明治28年(1895年)には臨時軍事費検査委員長、明治29年(1896年)には台湾総督府支庁創立事務取調委員長を務めた。明治33年(1900年)には会計検査官懲戒裁判所予備裁判官を兼任している。
その長年の功績により、明治33年(1900年)に従三位に叙せられ、明治40年(1907年)には勲一等瑞宝章を受章。明治42年(1909年)に正三位となり、大正4年(1915年)には勲一等旭日大綬章を授けられた。大正6年(1917年)に本官を免ぜられる際には特旨により一級進み従二位に叙され、翌年錦鶏間祗候となった。大正9年(1920年)5月31日、病没。享年73 [1]
