浦川和三郎

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浦川 和三郎(うらかわ わさぶろう、1876年4月6日 - 1955年11月24日)は、カトリック教会司教である。洗礼名は「ミカエル」。1942年カトリック仙台司教区初の邦人司教となった。また、キリシタン史研究家でもあり、多くの著作・訳書を手掛けた。

1876年明治9年)4月6日に長崎県長崎市坂本町で生まれた[1]。母の浦川モリは、浦上四番崩れによる明治政府のキリシタン弾圧により、鹿児島へ流刑された経験があった[2]

1906年(明治39年)7月1日に長崎で司祭叙階された。長崎の大浦天主堂主任司祭を経て 1918年大正7年)に長崎公教神学校教授専任となり、1928年昭和3年)には校長に任ぜられた[1]

1920年代長崎司教区が邦人聖職者に委ねられる際に、パリ外国宣教会は彼と守山神父を推薦したが、このときは布教聖省に却下されている[3]

1941年(昭和16年)1月に仙台教区長となり、同年11月20日に司教に指名され、翌年の1942年(昭和17年)に教皇大使パオロ・マレラ大司教、および東京教区土井辰雄大司教とイエズス会のジョン・ロス司教の共同司式により、仙台教区の司教に叙階された。

1953年(昭和28年)11月26日に仙台教区司教を引退し、同日にパンフィリアのアッタレアでの名義司教となる。

1955年(昭和30年)11月24日に79歳で亡くなった。

著作

脚注

外部リンク

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