父の浦野錠平
愛知県西加茂郡四郷村(上郷村、猿投村、猿投町を経て現豊田市四郷町)に浦野錠平の長男として生まれる。生家は浦野酒造場(後の浦野合資会社)を営む庄屋の浦野家[4]。
1901年(明治34年)3月、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)を卒業。同年12月、志願兵として歩兵第六聯隊に入隊。1902年(明治35年)11月、除隊。1904年(明治37年)6月、応召。陸軍歩兵少尉として日露戦争に従軍した。1905年(明治38年)6月、歩兵中尉に昇進し、その功により勲六等単光旭日章を受けた[2]。帰国後は農業と酒造業を営み、猿投村議会議員となる。
1918年(大正7年)1月、猿投村長に就任。所得税調査委員、愛知県議を務め[2]、愛知乾繭、小原乾繭、尾三自動車、西加茂倉庫、加茂運送各(株)役員となる[2]。
1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙において愛知11区から政友本党公認で立候補して当選した[5]。のち立憲政友会に移り、衆議院議員を1期務めた。1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
1941年(昭和16年)1月から1943年(昭和18年)4月にかけて猿投村長を務めた。
戦後、翼賛支部長のため公職追放となる[6]。
1964年(昭和39年)8月7日、死去。