浪岡顕忠 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不詳死没 天正6年(1578年)別名 左衛門、左近 凡例浪岡 顕忠時代 戦国時代生誕 不詳死没 天正6年(1578年)別名 左衛門、左近主君 浪岡氏氏族 浪岡氏父母 父:浪岡顕範兄弟 沼山勘解由室、北畠顕村室子 顕則、慶好、顕佐、顕行テンプレートを表示 浪岡 顕忠(なみおか あきただ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。 北陸奥の名族・浪岡氏の浪岡顕範の嫡男として生まれる。 永禄5年(1562年)、大叔父の川原御所・北畠具信が、叔父の宗家・浪岡氏当主である浪岡具運を殺害すると(川原御所の乱)、同年4月5日(1月3日とも)に父・顕範と共に川原館の具信らを攻め滅ぼした。そして、父と共に具運の子・顕村を後見した。 天正6年(1578年)、病死。 参考文献 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社 『浪岡町史』1986年、38頁。doi:10.11501/9540077。https://dl.ndl.go.jp/pid/9540077。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles