浮世亭夢丸
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『芸能画報』1959年3月号(サン出版社)掲載
1921年に神戸新開地南座で砂川菊丸[1]の名で初舞台。1925年には大八会から吉本、戦後は戎橋松竹を経て吉本に出演。十八番ネタは浪花節の節真似で、相方の弾く三味線がうまく夢丸の唸る浪曲に合わず、夢丸がつっこむもの。また、大八会時代やアチャコと組んでいたときは活動弁士の真似をやったり、その他にも三曲漫才も時折披露していた。戦後は吾妻ひな子、美山なをみらと組んだ。
1975年頃には病気のため第一線を退いた。1978年4月3日、大阪市住之江区の松下病院にて脳出血により死去。82歳没[2]。
弟子には浮世亭出羽助・八丈竹幸、浮世亭夢路、浮世亭夢若。