実父も書道家であったが、自らは服飾デザイナー志望で福岡市にブティックを開く[1]。1994年(平成6年)頃にブティックを閉めて東京に移り、本格的に書道に取り組む[1]。その後、2003年頃に上海大学で書道を学び[1]、歯ブラシ、ほうき、たわし、ストロー等も筆代わりにして、両手や左手を使って書く[2]「漢字アート」とよばれる独自の手法で個展を催し始める。
娘が有名女優ということもあり、長く「諭黄」を名乗り本名を伏せてきた。しかし、2009年に開いた個展を機に実名の「深津 諭美子」を使用[1]。
2014年11月に、東久邇宮文化褒賞を受賞。同時期に、末期の肺癌であることを公表していた。2015年6月16日、死去が判明[3]、後に6月11日に亡くなったと公表された。66歳没。