大伯母が細川藤孝の生母であることから細川家に奉公した。後に細川忠興の正室・明智珠の侍女となる。
天正15年(1587年)、大坂の教会で洗礼を受け、「マリア」と称する。同年、忠興の妻となった明智珠に自ら洗礼を授け、珠はガラシャの洗礼名を得た。この時剃髪し、ガラシャに忠誠を誓った。洗礼を受けた際、宣教師には「賢く思慮分別があり奥方と同じくらい教義をよく理解していた」と評されている。その後誕生したガラシャの次男細川興秋にも洗礼を授けた。
明智光秀がガラシャの嫁入り時に付けた侍女の小侍従とは別人である。ガラシャ自害の際には立ち会っていなかったようである。
ガラシャの死後、出家して寿光院と名乗った。