清原貞雄
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学問・業績
神道史を中心に、日本思想の形成に関わる道徳史・思想史・文化史を幅広く研究した。戦後は古文書学に手を染めた[3]。戦前期には「日本主義的」ではあるが、「当時往々にして見られた独断的な国粋主義者とは異なり、どこまでも客観的・批判的」であり、このため「戦争末期ある筆禍事件により」大学教授を辞職したという[4]。
- 『神道沿革史論』
1919年に出版した『神道沿革史論』は、当時「神祇史、神道説しかなかった我国神道学界に神道思想史を扱った著書としては初めての概説書」であり、1932年に書名を『神道史』と改め大幅改訂すると「非常な反響を呼び」、これ以降「神道学を志す者の必読の書」になったという[5]。
- 内務省神社局『国体論史』
1921年に内務省神社局が刊行した『国体論史』は、当時内務省神社局嘱託であった清原が編述したものである。同書の編纂方針は「先哲の国体に関する論文の要点をなるべく原文のまま掲げる」[6]ことであったが、清原は巻末で特に「余論」と題して持論を述べている。この余論では、神話を根拠として国体の尊厳を説くことの危険性を指摘し、また、憲法学上の天皇機関説と天皇主権説の対立について、天皇主権説を「冷ややかなる法理によりて天皇を神聖視する事を規制せんとす、いわゆる贔屓の引き倒しにして、下は国民の皇室に対する忠義の熱情に水を注ぎ、上は御歴代の聖徳を無にせんとするものなり」[7]と批判し、天皇機関説を擁護した。後に天皇機関説事件で天皇機関説が抹殺されると、清原は『国体論史』を全面改訂し, 1939年に私著の形で出版した。この改訂版では余論を全部削除し、天皇機関説の是非については「現在においては天皇機関説は葬られているのであるから今ここに批判を加うる必要はない」 [8] とのみ述べている。
戦前期に44冊にのぼる多数の著書を出版したが、戦後占領下において7冊の著書をGHQに没収(事実上の発行禁止)された[9]。後に、著書の多いことを尋ねられると、「恥ずかしくてならない。集められるものなら皆集めて焼いてしまいたい気持ちだ」と語ったという [10]。