清園寺 (福知山市)

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位置 北緯35度23分38.4秒 東経135度08分48.3秒 / 北緯35.394000度 東経135.146750度 / 35.394000; 135.146750
山号 鎌鞍山
宗派 真言宗
清園寺
所在地 京都府福知山市大江町河守81
位置 北緯35度23分38.4秒 東経135度08分48.3秒 / 北緯35.394000度 東経135.146750度 / 35.394000; 135.146750
山号 鎌鞍山
宗派 真言宗
本尊 薬師如来坐像
文化財 紙本著色清園寺縁起(府指定)
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清園寺(せいおんじ)は、京都府福知山市大江町に所在する真言宗寺院

山号は鎌鞍山[1]。宗派は真言宗で、高野山正智院の末寺である[1]麻呂子親王の開基とする伝承をもち、丹波・丹後に広く伝わる七仏薬師信仰に関連する寺院として知られている[1]。寺には二種類の縁起が伝わり、いずれも地方の伝承に基づくものである[1]。寺名や別称として、慧庵、子徳院(四徳院)が江戸時代中期の記録に確認されている[1]。本尊には薬師如来坐像を祀り、33年に一度開帳される秘仏とされる[1]

歴史

麻呂子親王に関する伝承では、親王が退治に際して七仏薬師を刻んで戦勝を祈願し、鬼の首領土態らが命乞いをした際、一夜で寺地を造るよう求めたところ、鬼たちが寺地を切り開いたと伝える[2]。その後、七仏薬師の一つを安置し、親王の鎌と鞍を納めて清園寺が創建されたとされる[2]

清園寺はかつて筠慧庵と称し、寛治2年(1088年)に維範大徳が七堂伽藍を整備し、子徳院清園寺と改称した[2]

本堂は寛延2年(1749年)、庫裏は享和元年(1801年)の建立である[2]

1918年(大正7年)の河守大火では、仁王門とそこに安置されていた多聞天広目天像が焼失した[2]

文化財

紙本著色清園寺縁起

内容は、丹波国三上ヶ嶽に住む食部・迦楼夜叉・種熊の三悪鬼を麻呂子親王が退治する物語を描くもので、親王が伊勢大神宮の化身である老翁の助力を得て悪鬼を降伏させ、清園寺開基に至る過程を表す[3]南北朝時代の作とされ、京都国立博物館に寄託されている[3]。三幅からなり、各幅は縦99.1 cm、横55.6 cmである[3]。 清園寺の創建由来を述べた「古縁起」「略縁起」は、この三幅の詞書とみられる文書である[3]

所在地

  • 京都府福知山市大江町河守813

アクセス

脚注

参考文献

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