清水礼留飛
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「礼留飛」という名前は、日本にスキーを伝えたとされるオーストリアのテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐に由来する。スキーの国体選手である父・久之の勧めで小学校1年時からスキー競技を始めた[1]。妙高市立妙高高原中学校に進学してジャンプスキー部に入部したが、元々はノルディック複合の選手であり、全国中学校スキー大会、全日本ジュニアスキー選手権大会で優勝するなど好成績を残していた。その頃からジャンプを得意としており、複合選手ながら数々の大会の純ジャンプ競技でも優勝していた。高校進学後も純ジャンプ競技での好成績の方が多かったが、複合で全日本スキー連盟の強化Bランクに指定され2010-11シーズンのコンチネンタルカップや世界ジュニア選手権を転戦した。しかし、好結果を残すことが出来なかったことから高校3年時の2011年春には複合の強化指定を辞退し、本格的に純ジャンプへと転向することとなった[2]。
純ジャンプ転向1年目の夏から早速遠征メンバーに抜擢され、サマーグランプリやコンチネンタルカップを転戦し、2012年2月には世界ジュニア選手権に出場した。2012年8月、サマーグランプリ初戦のフランス・クーシュベル大会で初優勝を達成。続くドイツ・ヒンターツァルテン大会でも2位に入るなど好成績を残した結果、2012/13シーズンのワールドカップ遠征メンバーに選抜された。冬のシーズンも序盤戦から安定感のある飛躍を続け、翌シーズンに迫ったソチオリンピック前哨戦となる、12月のロシア・ソチ大会でのノーマルヒルでは、第1戦は10位、第2戦は初のシングルとなる9位。2013年2月にはノルディックスキー世界選手権の日本代表に初選出され、団体戦に出場した。
2013-14シーズンは序盤のW杯で成績が振るわず、年末年始のスキージャンプ週間のメンバーからは外れたが、国内大会で好成績を収めてソチオリンピック日本代表に選出された[3]。2月、ソチオリンピック最初の種目・ノーマルヒルの予選は101.5mを飛んで3位で通過し、決勝では2本とも99.5mで18位。ラージヒルの予選も3位で通過し、決勝1本目で130.0mの飛躍で15位につけると、2本目で134.5mを飛んで10位に入るなど初出場ながら好成績を収めた。竹内択、伊東大貴、葛西紀明と出場した団体では1番手を務め、1本目132.5m、2本目131.5mで、2本とも1番手グループ2位のポイントを記録し、団体では1998年の長野オリンピック以来16年ぶりのメダルとなる銅メダル獲得に貢献した。3月のW杯第25戦ノルウェー・トロンハイム大会では6日に行われた予選を自身初めて1位で通過、翌7日に行われた本戦では自己最高順位を更新する5位に入った[4]。
2014-15シーズン、9月20日のサマーグランプリ・アルマトイ大会で2位。ワールドカップには開幕より遠征メンバー入りしたが、30位以内に入れない不振が続いたため、世界選手権メンバー入りは逃した。
2016シーズン以降は不調が続いたが、2019年1月の札幌オリンピック記念スキージャンプ競技大会で5期ぶりに国内戦での優勝を果たした[5]。同年12月の雪上の初戦・名寄ピヤシリジャンプ大会も制し[6]、2020年1月のコンチネンタルカップ札幌大会では8期ぶりにポイントを獲得した。2021年は冬のノーマルヒル国内戦で2勝した。2023年は7シーズンぶりにワールドカップ札幌大会に国内枠で出場したが、2戦とも予選を通過できなかった。
2023-24シーズンをもって現役を引退[7]。