渡辺喜太郎
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東京大空襲で両親と兄弟5人を一度に失い、新潟に学童疎開していた渡辺と姉が生き残った。栃木県足利市の母方の親戚に引き取られた渡辺は、12歳で織物工場に丁稚奉公に出された[3]。その後、上京し22歳のとき、麻布にオートバイ販売の麻布小型自動車を開業した[4][5]。
1964年(昭和39年)に輸入車販売の麻布自動車産業を設立。69年ごろから不動産業に本格進出し、78年に社名を麻布建物に変更した[6]。会社のある麻布周辺の土地に的を絞って買い集めた結果、バブルの時期には莫大な資産価値を生んだ[7]。メインバンクの三井信託銀行社長の中島健は「私らの世代は、戦災孤児に弱い」と、戦災孤児から這い上がってきた渡辺をことのほか可愛がった[7]。
最盛期にはハワイに6つの高級ホテル、港区に165か所の土地と建物、栃木県にゴルフ場「喜連川カントリー倶楽部」を所有。資産は55億ドルを数え、1990年(平成2年)にはフォーブス誌の世界の長者番付で6位にランキングされた[8][9]。しかしバブル崩壊後、麻布建物の業績は急速に悪化し、06年に倒産。負債総額は5,648億円にのぼった。渡辺も資産隠しのための強制執行妨害容疑で逮捕された[1]。