渡辺滉

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渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 2021年6月8日)は、日本実業家三和銀行頭取や三菱東京UFJ銀行名誉顧問のほか、全国銀行協会連合会副会長、経済同友会副代表幹事等の公職も務めた。1993年藍綬褒章受章。

東京赤羽出身[1]渡辺幸吉(中央大学名誉教授)は父[2]。旧制第二東京市立中学校(東京都立上野高等学校の前身)を経て、旧制東京商科大学一橋大学の前身)に入学。渡辺文雄(俳優)は旧制中学の同級生。大学時代は弓道部に所属。またキリスト教青年会にも参加[3]。大学同期の伊藤助成(元日本生命社長)と親しい関係であった[4]

1953年に大学を卒業し、三和銀行入行。入行後は、丸善石油(現コスモ石油)や岩井産業(現双日)への出向を経て、営業本部第二部長、融資部長、営業本部長等、国内営業部門を歩み[5]、1988年に川勝堅二の後任として、頭取に就任した[6]。頭取として、証券部門、国際部門、情報部門の重点化、首都圏への進出などをすすめ[7]、1993年3月期決算及び1994年3月期決算で業務純益、経常利益、当期利のすべてで都市銀行トップを実現した[8]。1994年に頭取任期6年の内規にしたがい、頭取を退任し代表取締役会長に就任(後任には、佐伯尚孝が就任)。頭取在任中は東京都渋谷区松涛の自宅と、兵庫県西宮市仁川町の川勝会長から引き継いだ頭取用社宅の往復生活を送った[4]

2021年6月8日死去[9]。91歳没。

人物

趣味はスポーツと音楽。

クラシックではバッハモーツァルトを好み、カラオケでは「風雪ながれ旅」や「奥飛騨慕情」が持ち歌。

またスポーツは野球、水泳、ヨット、弓道、ゴルフを行い、特に野球については、南海ホークス監督を務めた鶴岡一人と親しく鶴岡の依頼を受け日本少年野球連盟の初代名誉会長を務めたほか、阪急ブレーブスオリックスへの球団売却の際には、仲介役を務めた[10]

略歴

論文等

脚注

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