渡辺範彦
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幼少期からデビューまで
1947年9月11日、宮崎県日南市に生まれる。3歳より兵庫県神戸市で過ごし、8歳から両親の勧めでギターを始める[1]。11歳より松田晃演(旧名 二朗)に師事。その後、月村嘉孝、大西博愛にも師事した。教育熱心な母親によってテレビやラジオの子供向け音楽番組に出演する機会を多く与えられ、1960年にはナルシソ・イエペス来日記念の歓迎演奏会にも出演している[1]。
1965年および1966年の日本ギターコンクール(現・東京国際ギターコンクール)で2年連続2位に入賞。その後上京し、ギター製作家・河野賢の工房にて製作に携わりながら、伴博、久坂晴夫、真鍋理一郎、小船幸次郎、大橋敏成らに師事し研鑽を積んだ[1]。
1967年6月29日、東京文化会館小ホールにてデビュー・リサイタルを開催。その翌日に行われた初のレコーディングでは、テープを回したまま修正なしで全曲を仕上げるという、19歳としては驚異的な集中力と完成度を見せた[1]。
世界への飛躍
1968年の半年間のヨーロッパ留学を経て、1969年10月18日、第11回パリ国際ギターコンクール(フランス国営放送主催)において、日本人として初優勝を飾る。この際、史上初となる12人の審査員全員一致の投票による「審査員賞」も併せて受賞した[1]。コンクール後はロンドンにてダイアナ・ボールトンに師事し、タブラチュアとリュートの指導を受けた。
1970年代には、フランス全土での演奏旅行やカナダ・アメリカ17都市でのツアーを成功させた。カナダの「ザ・サン」紙では「高度な技術と衝撃的なほど成熟した音楽性」と絶賛され、日本のギター界が世界的に注目される契機となった[1]。
多方面での活動と晩年
1975年4月からは1年間、NHK総合テレビ『ギターを弾こう』に講師として出演。誠実な指導と番組内での演奏が大きな反響を呼び、番組の人気を牽引した。また指導者としても、上野学園大学ギター科の講師を務めたほか、自宅においても後進を育成し、10名を超える門下生を国内コンクール入賞に導いている[1]。
1980年には久石譲の編曲・指揮により、東京ヴィヴァルディ合奏団との共演による録音を行うなど、幅広い活動を展開。しかし、1989年4月28日の福井放送会館での演奏会を最後にホールでの演奏活動を終え、1990年(43歳時)より体調を崩し療養生活に入った[1]。
2004年2月29日、永眠。享年56。
特徴・評価
渡辺の演奏は、透明感あふれる音色から「クリスタルな響き」と称えられた。 渡辺は、デビュー時から完成された技巧と成熟した音楽性をもつ天才肌の演奏家であったが、完全主義者として知られ、レパートリーを限定し、完全に自家薬籠中としたもののみを録音ないしは演奏会でとりあげていた。彼のスタジオ録音は、ほとんどがワン・テイクで完了、ライブ収録でも、レコード化するにあたっての編集が不要なほどの完成度であったという。 その芸術性は、アンドレス・セゴビアからも高く評価されている。
音源復刻
ディスコグラフィー
タイトルは初発売時のものに拠る。
アナログレコード
- 『渡辺範彦-珠玉のギター小品集』 日本コロムビア 1970年2月25日発売 JX-15 ¥1,800
- 『新演奏家シリーズ<2>渡辺範彦ギター・リサイタル』 日本コロムビア 1970年4月10日発売 OS-10072-J ¥2,000
- 『渡辺範彦ギターリサイタル』 RVCビクター 1977年
- 『モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲』 RVCビクター 1979年
- 『ソル 24の練習曲』 RVCビクター 1979年
- 『ギター・メルヘン・コンサート』 RVCビクター 1980年
- 『渡辺範彦ギター・リサイタル・ライブ』(収録は1968年) 日本コロムビア 1981年