源光経 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代後期生誕 不明死没 寿永2年11月19日(1184年1月3日)氏族 美濃源氏 凡例源光経時代 平安時代後期生誕 不明死没 寿永2年11月19日(1184年1月3日)氏族 美濃源氏父母 父:源光長兄弟 国長、光経、土岐光衡子 光房、長沢光助テンプレートを表示 源 光経(みなもと の みつつね)は、平安時代後期の武将。源光長の次男。兄弟に国長、土岐光衡があり、子に光房(八条院蔵人)、光助(出羽守)がある。 美濃源氏土岐氏の棟梁であった父と共に在京し、検非違使・左衛門尉を務めたとされる(『尊卑分脈』)が、寿永2年(1184年)の法住寺合戦で父が後白河院方に加わったため光経もこれに従い、死闘の末に父と共に討ち取られ梟首された[1]。 次男・光助の子孫は越中国婦負郡長沢に居住して、長沢氏と称して、戦国時代には長沢光国などを輩出しているとされる[2]。 脚注 ↑ 久保 1983, p. 209. ↑ 久保 1983, p. 210. 参考文献 久保, 尚文「婦中の中世」『婦中町史 通史編』婦中町、1996年、202-245頁。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles