一条朝にて、但馬守・常陸介・讃岐守と受領を歴任する。
長徳2年(996年)国盛と藤原為時はともに越前守を懇願し、一度は国盛が越前守に任ぜられる。ここで、為時が一条天皇に自身の不遇を訴える漢詩を送ったところ、天皇は大いに感動し、左大臣・藤原道長は国盛に替えて為時を越前守に任じた。国盛はこのことにより病気となり、その年の秋には播磨守に任ぜられたが、赴任出来ないまま没したという[1]。なお、『小右記』によれば長徳2年の秋の除目では、播磨守には源時明が任じられるも、時明が辞退し、直物で新たに藤原信理が任じられている[4]。また、『今昔物語集』24巻30話では源国盛ではなく藤原国盛とされているがこれは誤りとされる。