父の後を継いで家業である『源氏物語』の研究を進め、世に言う「河内本」を大成させた。朝廷からは河内守、式部大夫に任官され、極位は従五位下であった。鎌倉幕府で政所別当であった父と交替で鎌倉に下向し、源実朝、藤原頼経、宗尊親王の三代に仕え、歴代の和歌奉行を担当。承久3年(1221年)の承久の乱では父・光行が院方に参陣していたが、その助命を嘆願して許された。貞応3年(1224年)の伊賀氏事件において一条実雅の京都送還が行われた際に、仰せによらず私的に扈従したため、後にそのことが罪に問われて出仕を止められ、所領を召し放たれている。