山形南高では、エースとして1979年夏の甲子園県予選準決勝に進むが日大山形高に敗退。
1979年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団[1]。
プロ6年目の1985年に一軍初登板を果たし、1986年にはカーブとチェンジアップを武器にウエスタンリーグで11勝6敗の最多勝を獲得[1]。
1988年10月に鍋屋道桜と共に高代延博との2対1の交換トレードで日本ハムファイターズに移籍[1]。移籍後は一軍登板できないまま、1989年限りで現役を引退[1]。
現在は、山形在住の会社員。また少年野球山形中央リトルシニアクラブの監督でもある。NHK山形で高校野球の解説もつとめる[1]。