滝川法直
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旗本滝川忠征の長男。生年は不明だが、年齢の離れた同母弟に慶長7年(1602年)生まれの滝川時成がいる[3]。
慶長12年(1607年)4月、日向国飫肥藩主伊東祐兵の娘と大坂で婚礼を挙げた(『日向記』)[5]。
慶長19年(1614年)3月、徳川家康の六男松平忠輝の居城高田城の普請奉行を伊東政世、山城忠久とともに務めた(『伊達政宗記録事蹟考記』)[6][注釈 2]。普請に貢献した忠輝の岳父伊達政宗は、6月3日付けの滝川忠征あて書状で普請の進捗状況について知らせる中で、「左兵衛殿は何も問題ありません。お若いですが殊のほか念入りになさっています。よくよくご安心ください。」[注釈 3]と法直の仕事ぶりを父である忠征に伝えている(名古屋大学文学部所蔵「滝川文書」)[8]。
普請は同年7月に竣工して法直は帰府するが[6][注釈 4]、2か月後の9月に急死した[3]。
法直には男子がなく、死去時に存命の弟はすでに徳川義直に近習として召し出されて尾張藩士となっている時成だけであったので、父の忠征は外孫(浅野忠正と法直の姉の間の三男)直政を法直の娘婿に迎えて養孫とし、滝川家の家禄を相続させている[1][3]。
法直の遺品に伝明兆筆(如拙筆とも)の「琴棋図屏風」(重要文化財)があり、法直が生前に大徳寺龍光院の江月宗玩に帰依していたことから死後に父の忠征によって龍光院に寄進された[10]。