広島国泰寺高校出身。卒業後は早稲田大学に進学予定だったが取りやめて1959年に広島カープへ入団した[2]。
1年目の5月に一軍へ昇格するもブルペン投球中に右肩を痛め登板することなく二軍へ降格[2]。二軍でもまともにボールが投げれない中で二軍監督を務めていた門前眞佐人から下手投げを勧められ下手投げ投手へと転向する[2]。
1962年6月23日のウエスタン・リーグ対近鉄戦でノーヒットノーランを記録[2]。同年一軍でも2試合に登板した[1]。
1963年オフに引退し、引退後は法政大学に進学[2]。その後は広島市内の海運会社で定年まで勤めた[2]。現在はアマチュアゴルファーとして活動している[2]。