滝野瓢水 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 1684年??月??日 日本 播磨国加古郡別府村死没 1762年7月8日 日本 摂津国大阪職業 俳人ジャンル 俳句滝野 瓢水生誕 1684年??月??日 日本 播磨国加古郡別府村死没 1762年7月8日 日本 摂津国大阪職業 俳人ジャンル 俳句 ウィキポータル 文学テンプレートを表示 滝野 瓢水(たきの ひょうすい、貞享元年〈1684年〉 - 宝暦12年5月17日〈1762年7月8日〉)は、江戸時代中期の俳人。滝瓢水とも。[1] 播磨国加古郡別府村に生まれる。通称は叶屋新之丞のち新右衛門。生家は千石船七艘を有する富裕な廻船問屋だったが、瓢水の遊蕩乱費のため没落する。俳号は瓢水の他に富春斎(ふしゅんさい)や自得(じとく)等がある。[2] 同時代の書物には、「生得無我にして洒落なれば笑話多し」[2]、「俳事に金銀を擲ちて後まづしかりしも、心にかけぬ大丈夫」[3]と記されている。洒脱な中にも人間味のあふれる作品を残した。[4] 宝暦12年(1762年)5月17日(現在暦では7月8日) 旅先の大坂にて没。享年79歳。[4] 作品 (大阪の知人が遊女を身請けしようとしていたのを諫めて詠んだ句)[注 1] 手に取るなやはり野に置け蓮華草 (亡き母の墓前で孝行できなかったことを悔いて詠んだ句) さればとて石にふとんも着せられず (没落し蔵を売った際に詠んだ句) 蔵売って日あたりの善き牡丹かな (風邪をひいて薬を買いに行ったことを、「娑婆への未練」と断じた禅僧に送った句。加古川市の宝蔵寺に句碑あり)[6] 浜までは 海女も蓑着る 時雨かな (神戸市須磨区の禅昌寺に句碑あり)[7] 本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉(もみじ)かな (加古川市の鶴林寺に句碑あり) ほろほろと雨そふ須磨の蚊遣哉 注釈 ↑ 最も人口に膾炙した作品であるが、姫路獨協大学教授の富田(渡邉)志津子によると「後年の伝説による句で、実の作ではない」とのことである[5]。 脚注 ↑ レファレンス協同データベース, 国立国会図書館, (2015-03-24), https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000169933 2018年9月30日閲覧。 1 2 続近世畸人伝 ↑ 続俳家奇人談 1 2 鶴林寺・句碑の説明文 ↑ 兵庫県ゆかりの作家 瓢水, ネットミュージアム兵庫文学館, https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a1012/ 2018年9月30日閲覧。 ↑ 『観光スポット案内』宝蔵寺, 加古川観光協会, https://kako-navi.jp/spot/spot/purpose/history/648 2018年2月25日閲覧。 ↑ 『瓢水 句碑』, 須磨観光協会, http://www.suma-kankokyokai.gr.jp/modules/gnavi2/index.php?lid=50&cid=9 2018年2月25日閲覧。 参考文献 『ふるさとの文化遺産』、第2巻、木戸正著、木戸書店、1985年。全国書誌番号:85048140、NCID BA8276760X。 『近世畸人伝、続近世畸人伝』、宗政五十緒校注、平凡社東洋文庫、初版、1972年。全国書誌番号:73007726、NCID BN03127138。 『俳家奇人談、続俳家奇人談』、竹内玄玄一著、雲英末雄校注、岩波文庫、1987年。全国書誌番号:88005674、NCID BN01405193。 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、講談社。 『朝日日本歴史人物事典』、朝日新聞出版。 『俳人滝瓢水』、長谷川武雄著。NCID BA55638783 『大辞林』、第三版、三省堂。 典拠管理データベース 全般VIAF国立図書館日本 Related Articles