潔世王

From Wikipedia, the free encyclopedia

潔世王(きよよおう、弘仁11年(820年) - 元慶6年4月28日882年5月19日))は、平安時代前期の皇族桓武天皇の孫、二品仲野親王の八男。官位従四位上民部大輔

幼い頃から歴史や伝記を学び[1]文章生に補せられる[2]。しかし、長く対策に及第できず文章生のまま、清和朝初頭の貞観2年(860年)41歳にして二世王の蔭位により従四位下に直叙された。

しばらく散位であったが、貞観5年(863年大学頭に任ぜられる。大学頭在任中、貞観8年(866年)の高山祭使や[3]、貞観10年(868年)の文徳天皇田邑陵で発生した野火に伴う陵への使い[4]など臨時の使者を務めている。その後、従四位上・民部大輔に叙任された後、貞観17年(875年)には雨乞い等のために神功皇后陵への使者も務めた[5]

陽成朝元慶6年(882年)4月28日卒去享年63。最終官位散位従四位上。

官歴

日本三代実録』による。

系譜

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI