潮恒太郎
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慶応元年11月30日、島根県において、潮房太郎の長男として生まれる[2]。
明治18年(1885年)7月、松江始審裁判所浜田支庁に雇[注 1]として奉職[3]。当時の浜田支庁には、若き日の島村抱月(当時の姓名は佐々山瀧太郎)も給仕として奉職していた[注 2][3]。
恒太郎はその後、苦学して判事登用試験に合格し、明治20年(1887年)、判事に任官[4]。東京地方裁判所、東京控訴院に在勤[5]。東京地裁の上席判事を10年務め[5]、予審判事として、シーメンス事件や[6]、幸徳秋水らの大逆事件(幸徳事件)[7]といった著名な事件を担当した。
大正8年(1919年)6月20日、大審院検事に任じられたが、翌21日死去した[5]。享年55。「予審判事中の第一人者」と評されたという[5]。