潮目天満神社
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歴史
七目郷には「天満宮」、「潮目宮」の2社があったが、明治期の合祀令に伴い、「天満宮」に「潮目宮」を合祀して、社号を「潮目天満神社」と改称した。
天満宮
創建は元禄3年(1690年)9月。万治2年(1659年)から元禄3年の間の有川・魚目海境論争で、有川村の大庄屋・江口甚右衛門と共に江戸公訴に奔走した七目村の小頭・近藤角左衛門が勧請した。
元禄3年5月、江戸公訴三番登りの帰路に太宰府天満宮を参拝し、公訴成就の御礼を捧げ分霊を勧請し、同年9月に現在の宮地に奉祀。明治41年(1908年)1月9日に潮目宮を合祀し、社号も現在のものに改称した。
潮目宮
創建年代は不詳だが、17世紀後期から18世紀初頭の創建と思われる。
有川湾で初めて網漁を仕出して有川・魚目の漁夫の元祖といわれ、前述の海境論争に奔走した近藤角左衛門の功績を慕い、事代主神を勧請し、角左衛門の存命中に奉祀された。死後に社殿を再建した折、角左衛門を有川湾の守護神として潮目恵比須の神号を奉り、当社にその御霊を合祀した。近年、社殿が再建され、それに伴い当社・裏山鎮座の金刀比羅神社を合祀した。 また、元来は「覚明の塩焼明神」として祀られ、近藤家の守り神とされていたとも伝えられる。