創立は詳らかではないが、口碑によると垂仁天皇の皇女倭姫命が天照皇大御神の神勅によって三種の神器を奉じて大和の国より伊賀・伊勢・美濃・尾張の地を経て鎮座の地を定めよとの思召しによって太田命の先導で船にてこの地に行幸になり四十余日御行宮の後、更に神託によって勢州渡会の五十鈴川の辺に移御なされた。
本殿は浜名神戸より伊勢神宮へ貢進品の収納庫として使われたといわれ板倉造(井籠造)という全国でも類の少ない古式の形式で歴代の将軍・国守の尊崇の念が厚く特に豊臣・徳川両氏の代々の将軍は掟を定めて朱符の田四十二石を寄進して崇敬の意を表している。[1][2]
式内社の英多神社の論社とされる[3]。
明治五年八月二日に郷社に列する。
明治四十年二月十一日に神饌幣帛料供進に指定される。