甲軍医の任務は、1名の衛生下士官とともに、大隊本部後方の 「仮繃帯所」で第一線から下がってきた負傷兵の応急措置を行うことだった。
大隊の衛生部員は軍医の他に、衛生下士官1名・衛生兵8名が定員とされていたが、定員が満たされていたとしても全兵員数の1%に満たなかった。そのため、大隊長の命令で、大隊の予備兵力(ふつうは一個中隊)の中から「担架兵教育」終了者を集めて「患者収容班」を編成し、甲軍医の指揮命令下におくことができた。収容班の半分は火線(最前線)で患者を収容して、甲軍医が従事している「仮繃帯所」に移送する役目を担った。別の半分は「仮繃帯所」から、さらに後方の「聨隊治療所」か、「師団衛生隊患者収容所」に負傷兵を担送する役目を担った。
担架は2名の兵が担送する「二人伍」 、3名で担送する「三人伍」、4人の兵が担送する「四人伍」とがあった。負傷兵の所持する兵器・弾薬・装具などは、可能な限り収容しなければならないので、「三人伍」か「四人伍」 が担架の基本であった。
予備中隊から患者収容班の人員を出す場合、四人伍では、せいぜい担架20組が限界であった。それを「火線よりの担送」と「仮繃帯所よりの後送」に配置すると、担架10組が大隊が最前線に配置できる患者収容能力の限界であった。
担架の構成人数にかかわらず(「二人伍」でも 「四人伍」 でも)、担架の移動能力は1時間にせいぜい1キロメートルであった。そのため、1日の移動距離の限界は、「二人伍」「三人伍」で4キロメートル、「四人伍」で8キロメートルと定められていた。この移動能力の制限のため、「師団衛生隊患者収容所」の設置位置は、最前線から4キロ後方が標準であった。
「師団患者収容所」には担架中隊、もしくは車両中隊が付属しており、負傷兵は収容所で治療して前線に復帰させるか、それが難しい場合には「師団野戦病院」に搬送された。
師団野戦病院の数は、四単位制師団(歩兵聨隊が一個師団に四個存在) の場合は四個、三単位制師団の場合は三個、設置される。すなわち原則として、一個歩兵聨隊を一個野戦病院が担当した。しかし、戦時編成の歩兵聨隊の兵員数は4千名ほどであり、最大患者収容数2百名の野戦病院では、激戦になると、たちまち患者治療能力・患者後送能力が機能マヒに陥った。