烏土塚古墳
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高さ6m(後円部・前方部)
| 烏土塚古墳 | |
|---|---|
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遠景(右に後円部、左に前方部) | |
| 所在地 | 奈良県生駒郡平群町春日丘1丁目4[1] |
| 位置 | 北緯34度37分4.07秒 東経135度42分8.67秒 / 北緯34.6177972度 東経135.7024083度座標: 北緯34度37分4.07秒 東経135度42分8.67秒 / 北緯34.6177972度 東経135.7024083度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長60.5m 高さ6m(後円部・前方部) |
| 埋葬施設 |
両袖式横穴式石室 (内部に組合式石棺2基) |
| 出土品 | 副葬品多数・埴輪 |
| 築造時期 | 6世紀中葉 |
| 史跡 | 国の史跡「烏土塚古墳」 |
| 地図 | |
奈良県西部、信貴山東麓の平群谷において、竜田川西岸の独立丘陵上に築造された古墳である[1]。1969年(昭和44年)に発掘調査が実施されている[2]。
墳丘は前方後円形で、墳丘主軸を南北方向として前方部を北方向に向ける。墳丘は1段築成[1]。墳丘長は60.5メートルを測り、平群谷では最大規模になる[2][1]。墳丘外表で葺石は認められていないが、円筒埴輪列が認められている[1]。また墳丘周囲には周溝(幅約2メートル)が認められる[1]。埋葬施設は後円部における両袖式の横穴式石室で、巨石を用いて構築され、南方向に開口する[1]。石室内では玄室に組合式家形石棺1基、羨道に組合式石棺(家形石棺か)1基を据え、付近から多数の副葬品・形象埴輪が出土している[2]。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀中葉頃と推定される[2][3]。被葬者は明らかでなく、平群氏との関連性を指摘する説が挙げられている[2]。ただし当該時期の平群氏には目立った活躍が見られない点が注意される[2]。
遺跡歴
墳丘
埋葬施設


埋葬施設としては後円部において両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する[3]。石室の規模は次の通り[3]。
- 石室全長:14.2メートル
- 玄室:長さ6メートル、奥幅2.8メートル、高さ4.3メートル
- 羨道:長さ8.2メートル、入口幅1.6メートル、高さ2メートル
石室は巨石を使用した奈良県内でも屈指の規模のもので、幅に比べて天井が非常に高い形態になる[2]。石材は西方の平群石床神社(平群町越木塚)付近のものとされる[1]。奥壁・前壁は垂直に、側壁はやや持ち送って積むことで構築され[1]、羨道下には暗渠の排水溝が設けられている[2]。石室の構造としては越塚古墳(桜井市)とはほぼ同一設計になるとして注目される[6]。
石室内では、玄室奥壁寄りに組合式家形石棺1基、羨道部に組合式石棺(家形石棺か)1基を据え、付近から多数の副葬品が出土している[3]。玄室棺は二上山白色凝灰岩製で[1]、蓋石を欠失するが、棺身東側石に斜格子の装飾文様が施される点で注目される[2]。羨道棺も二上山白色凝灰岩製で[1]、連接した石材3枚が棺底石として遺存する[2]。
- 参考:越塚古墳石室俯瞰図
- 玄室(奥壁方向)
- 玄室(開口部方向)
- 玄室の石棺
- 羨道(開口部方向)
- 羨道(玄室方向)
出土品
文化財
国の史跡
- 烏土塚古墳 - 1971年(昭和46年)7月30日指定[4]。
