烏騅
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歴史的記録
烏騅に関する最古の記述は司馬遷『史記』項羽本紀に見える。紀元前202年の垓下の戦いで包囲された項羽は、最期の宴で「力山を抜き気世を蓋うも、時に利わずして騅逝かず」(力は山を抜き気は世を覆うほど強いが、時勢に恵まれず烏騅も進もうとしない)と詠じた[3]。さらに烏江での自害直前、烏騅を連れて渡江しようとする亭長に対して「吾れ此の馬に騎ること五歳、当たる所敵無し。嘗て一日千里を行く。之を殺すに忍びず」と述べ、愛馬を託したとされる[3]。
毛色については諸説ある。『爾雅』釈畜篇では「蒼白雑毛、騅」と定義されるが[4]、後漢の郭璞は「黒色に白毛交じる」と注釈している[5]。唐代の張守節『史記正義』では「青白雑色」と解釈された一方[6]、班固『漢書』陳勝項籍伝では単に「騅」と記され、詳細な毛色は明示されていない[7]。