福山藩藩士・熊田臨蔵の次男として[5]、備後国福山(現在の広島県福山市)に生まれる[2]。誠之館にて学を修めたほか[5]、江木鰐水に漢籍を、五弓雪窓に漢作文を、藤井葦川に漢詩を学ぶ[2]。
二十歳のころ大阪に出て大阪新報社に就職、同社で編集長をつとめたのち新潟日日新聞、北海道毎日新聞、北海新聞などを経て報知新聞に招かれた[5]。同紙編集長の傍ら日清戦争の戦時記事を執筆して大いにその名を知られるようになる[5]。一時同社を退いたが、日露戦争を機に再び報知の編集長に就任[5]。自著『日本史蹟』が賞讃の的となり、のち鎌倉に居住して著述業に専念した[5]。
徳富蘇峰との交流がある[6]。