片岡健治 From Wikipedia, the free encyclopedia 国籍 日本出身地 栃木県生年月日 (1937-03-18) 1937年3月18日(88歳)身長体重 174 cm75 kg片岡 健治基本情報国籍 日本出身地 栃木県生年月日 (1937-03-18) 1937年3月18日(88歳)身長体重 174 cm75 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 投手プロ入り 1960年初出場 1960年4月17日最終出場 1961年6月10日経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 栃木県立大田原高等学校 いすゞ自動車 中日ドラゴンズ (1960 - 1961) この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 片岡 健治(かたおか けんじ、1937年3月18日 - )は、栃木県[1]出身の元プロ野球選手。 大田原高校を経て、社会人野球のいすゞ自動車で活躍し、1959年に社会人・大学生混成の第3回アジア野球選手権大会全日本代表に選出された[2]。同社を経て1960年に中日ドラゴンズへ入団[1]。 1年目から新人王を期待されたが、キャンプで風邪をひき、さらに無理がたたり肩を痛める。その後、4月17日の国鉄スワローズ戦で1試合投げたが、7月に投げられない申し訳なさから任意引退を申し出た。その後再び中日と再契約したものの、翌1961年に引退[3]。 詳細情報 年度別投手成績 年度球団登板先発完投完封無四球勝利敗戦セ丨ブホ丨ルド勝率打者投球回被安打被本塁打与四球敬遠与死球奪三振暴投ボ丨ク失点自責点防御率WHIP 1960 中日 1000000----.000102.130000100000.001.29 1961 2000000----.000143.021300400339.001.67 通算:2年 3000000----.000245.151300500334.501.50 記録 初登板:1960年4月17日、対国鉄スワローズ3回戦(中日球場)、6回表に2番手で救援登板、2回1/3無失点 背番号 11 (1960年 - 1961年) 脚注 1 2 プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、145ページ ↑ 全日本チームは大沢貞義含む社会人8名・学生9名で構成され、辻猛監督、大沢貞義助監督兼外野手(熊谷組)、堀本律雄(日本通運)、五代友和、森滝義巳らの投手陣にくわえ、古田昌幸(熊谷組)、高林恒夫、浜中祥和ら立教大関係者を軸に、宮原実捕手(日本鋼管)、田中徹雄(日本石油)、木次文夫、渡海昇二、高橋捷郎ら早慶関係者の野手陣を中心に編成。総勢9人の大学生中7人を東京六大学勢が占める中、唯一の関西六大学勢である関学大の斎藤圭二と共に唯一の東都勢から専修大の坂井勝二投手が選出され、片岡健治投手(いすゞ自動車)らと全日本チームの優勝に貢献した。 ↑ 「志願の任意引退」週刊ベースボール別冊 よみがえる1958-69年のプロ野球 [Part.3] 1960年編 三原魔術で大洋日本一 ベースボール・マガジン社.2023年.P64 関連項目 栃木県出身の人物一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 外部リンク 個人年度別成績 片岡健治 - NPB.jp 日本野球機構 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。表示編集 Related Articles