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プリティ長嶋

日本の政治家、お笑いタレント From Wikipedia, the free encyclopedia

プリティ 長嶋(プリティ ながしま、本名:片岡 馨[1]<かたおか かおる>、1954年10月2日 - )は、日本のものまねタレント、政治家。プリティ長嶋事務所所属。血液型O型。千葉県長生郡白子町出身。拓殖大学大学院修了。 千葉県議会議員(4期)[2]。元市川市議会議員(1期)。

生年月日 (1954-10-02) 1954年10月2日(71歳)
出身校 拓殖大学大学院地方政治行政研究科地方政治行政専攻修士課程修了
所属政党 無所属
概要 生年月日, 出生地 ...
プリティ 長嶋
プリティ ながしま
片岡 馨
かたおか かおる
生年月日 (1954-10-02) 1954年10月2日(71歳)
出生地 日本の旗 千葉県長生郡白子町
出身校 拓殖大学大学院地方政治行政研究科地方政治行政専攻修士課程修了
所属政党 無所属
称号 修士(政治行政)(拓殖大学・2011年)
公式サイト プリティ長嶋の野球日誌
選挙区 市川市選挙区
当選回数 4回
在任期間 2011年 - 現職
市川市議会議員
当選回数 1回
在任期間 2007年 - 2011年
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年譜

来歴

  • 幼少期から兄の影響で4歳頃から野球と長嶋茂雄に興味を持ち初め上達を求めて「日本で一番野球が上手い長嶋茂雄を真似ればいい」との思いで長嶋の物真似をし始める[4]。また林家三平や古今亭志ん生といった落語家が好きで三平が実家近くの九十九里海岸に家族で休暇に来ていた折に将棋を一緒に指していたこともあり落語家になる夢も持っていたものの、三平に弟子入りを願い出ると「中学を出てからにしな」と言われ中卒後には「高校を出てからにしな」と断られるうちに三平の早逝により諦めることとなった[5]。
  • かつては千葉県水道局(現千葉県企業局)に勤務し[3]、在職中の草野球でも長嶋の物真似を行い、飲み会で「我が巨人軍は永久に不滅です」の引退スピーチの物真似を振られたところ多くの同僚が感動したこともあり、数多くの人々に物真似を見てもらいたい思いが高まることとなった[4]。また芸能界への憧れから小林旭の歌などの物真似も練習していたものの、長嶋茂雄についてはあくまで芸としての模写ではないとしていた[6]。
  • 1980年の長嶋茂雄第一次巨人監督解任を期に「悔しさや悲しさを晴らしたい」との思いから素人参加型のバラエティ番組に応募するようになり[7]、1981年にフジテレビ『笑ってる場合ですよ!』内「お笑い君こそスターだ!」に出演しザ・ぼんちから絶賛を受けたこともあり[6]、その後芸能界デビューを果たした。1982年10月に千葉県水道局を退職[3]。
  • 1981年以降、『オレたちひょうきん族』に準レギュラーとして出演。
  • 1982年、『笑ってる場合ですよ!』の後番組『笑っていいとも!』に出演。川上哲治の物真似芸を得意とする渡辺信一(DON)とコンビを組み『きたかチョーさん待ってたドン!』というレギュラーコーナーで人気を博した[8]。
  • 『笑ってる場合ですよ!』にレギュラー出演していたことから、『笑っていいとも!』の立ち上げにも協力した。スタッフに対し、『いいとも!』の司会者に明石家さんまを推した。その理由はさんまが野球に詳しかったためだが、当時はさんま自身が多忙なために却下された。最終的にタモリが起用される運びとなったが、タモリの起用には反対したという[9]。
  • その後『いいとも!』出演の経緯でフジテレビ預かりの立場で巨人と同じ読売新聞系の日本テレビへの出演が叶わなかったことから[4]、長嶋との直接の共演を望んでいたこともあり1983年に『いいとも!』を降板しフリーの芸人に転身[6]。北海道でのラジオパーソナリティや[5]、維新力浩司に誘われる形で[10]、プロレス団体「NOW」にてリングアナウンサーを担当[11]、一時は長嶋に関係のない芸風に軸足を移す考えを抱いていた[5]。
  • 長嶋の巨人第二次監督時代に入り一時は水泳による大幅減量を試みるも長嶋に似ない風体となったが多くの仕事が寄せられ長嶋のモノマネを再開[5]、また事務所兼自宅を千葉県市川市に新築[7]。1999年9月に敷地面積23坪延床面積33坪3階建てで竣工、ローンの貸し渋りや工費の大幅増加やローン返済困難を悩んだものの2000年シーズンでの長嶋の監督背番号3使用決定と重なり仕事が急増したこともありこの時は「私をショーアップするために誰か裏で仕組んでるのではないかと思うほど運がいい事だらけ」と語っていた[12]。
  • 長嶋からのお墨付きもあり、長嶋からは「プリティ」の愛称で呼ばれていた[4]。
  • 漫画家の本宮ひろ志のアシスタントを1985年頃から5年ほど務めたことがあり『男樹』の新シリーズを執筆するにあたり「詳しい人物関係を忘れた」と聞くとプリティ自ら同作を第1巻から読み、人物相関図を作成した[13]。これを機に次回作の『赤龍王』でも引き続きアシスタントとして同作の飛んでいる弓矢や群衆の作画、原稿のベタ塗り、史実を調べてエピソードとして膨らませて本宮に提出といったことをしていた[13]。
  • 1993年にオリジナルビデオ『帰ってきたナガシマ!!』に出演するなど、俳優としても活動[11]。
  • 1993年から毎年、自宅のある千葉県市川市から自転車で巨人のキャンプ地である宮崎に通っている[4]。
  • 2002年5月、つかこうへい作品『徳光和夫の青春-長嶋茂雄殺人事件-』にて舞台出演。

人物

拓殖大学大学院で地方行政について学んだ。

2007年の第16回統一地方選挙で市川市議会議員選挙への出馬を表明。政策は自動体外式除細動器(AED)の普及。これは、2004年8月に、自らが役員を務め、息子が所属する少年野球チームの対戦チームの選手が試合中、胸に打球を受け心臓発作(心臓震盪)を起こし、治療の甲斐なく死亡したため「AEDがあれば救える命がある」との思いからであるという[14]。立候補に際しては本名ではなく「プリティ長嶋」の名で立候補している。

市川市議選の新記録となる10782票を獲得し、他の候補者に大差でトップ当選した[15]。議会では自民党系市議らで構成される右派系会派「市民の声」に所属。

市議1期後、2011年の第17回統一地方選挙で市川市議選に先立って行われた千葉県議選に立候補し、当選(1万3443票、定数6、候補者12人中3位)[16]。県議会では一人会派の「県民の声」を作っていたが、2012年11月に佐藤浩[17]と2人で「千葉維新の会・県民の声」を結成し[18]、2013年9月には会派名を「千葉県民の声」として自らが代表となっていた[19]。2015年の千葉県議選では順位を落としたものの得票数は伸ばし(1万7500票、定数6、候補者7人中6位)[20]、2回目の当選を果たした[21]。

2007年に、長嶋茂雄監督在任中の読売ジャイアンツが、潤沢な資金力によって、大型補強を繰り返していたことについて聞かれた際には、テレビインタビューに対して「金持ちが金を使って戦力補強して何が悪いんですか」とコメントした。この発言について、自身のブログに寄せられた「選挙で清貧をアピールしていたことと矛盾しているのでは」という指摘に対し、「巨人の補強について語ったことで、選挙とは関係無い」と弁明している[22]。

2013年の長嶋茂雄への県民栄誉賞授与の際には、県庁を訪問した長嶋と対面し[4]、駐車場での花束贈呈を行い[23]、これが生前最後の長嶋との対面となっている[7]。また千葉県議員として県内各所を視察した折に、長寿を祈って長生郡の「長生(ながいき)マスクメロン」を贈るなど県内の特産品を長嶋に贈っていた[6]。

出演

テレビ

ラジオ

CM

映画

オリジナルビデオ

  • けっこう仮面(1991年)[25]
  • 帰ってきたナガシマ!!(1993年)

主な歌唱作品

脚注

外部リンク

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