牛の角突き
新潟県長岡市・小千谷市などで行われる闘牛
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歴史



二十村郷の牛の角突きの習俗は数百年以上、一説には千年以上続いているともいわれる[4][5]。江戸時代後期に曲亭馬琴が著した大長編読本『南総里見八犬伝』に二十村郷の牛の角突きが登場することから、この頃には既に始まっていたのは確かである。起源として、岩手県南部地方から鉄を売りにきた商人が運搬役の牛も売って帰ったため、その牛を荷役として使うかたわら闘牛も始めたという説、大陸から越後国に移住した人々が牛を持ち込み闘牛も伝えたという説の2説が伝わっているが定かではない。
明治から大正期には、二十村郷で約130軒ほどの家が角突き用の牛を1~2頭飼育し盛んに行われていた。1978年5月22日、古くから行なわれている習俗がよく保たれ伝承されているとして国の重要無形民俗文化財に指定。平成期に入っても2004年の新潟県中越地震前までは旧山古志村で約100頭、小千谷市で約40頭の角突き用の牛が飼育されていた。
闘牛場内への立ち入りは長らく女人禁制であったが、2018年5月に取組後の牛の「引き回し」のため立ち入りが認められた。闘牛ファンの女性が牛持ち(牛のオーナー)になり、「女子部」を作って普及に努めたことが考慮されたという[6][7]。

