牛山清人
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長野県諏訪市豊田小川の長野県士族牛山克躬・さわの夫婦の長男として生まれる[1][2]。生まれてすぐ母親を亡くし、旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を卒業後、1917年(大正6年)に父をたよって単身渡米、ハリウッド・ハイスクール卒業。ハリウッドで早川雪洲の弟子として働くも俳優としては芽が出ず、メイキャップ担当に転身[3][4]。
滞米中に初代メイ牛山(牛山春子)と結婚し[5][6]、1924年に帰国し妻とともに神田三崎町に美容室を開店、宣教師ポール・ラッシュの支援で開いた軽井沢店の成功で軌道に乗り、夫婦で銀座にハリウッド美容室、京橋に美容学校のハリウッド美容研究室(ハリウッド美容講習所)を開設。1929年には、春子とともに再び訪米する[7]。
初代メイ牛山の春子と離婚後、春子の弟子だった17歳下のジュン牛山(本名・マサコ)と1939年に再婚し、メイ牛山の名を継承させる[8]。1947年(昭和22年)諏訪商工会議所会頭、日本商工会議所国際委員長を併任する。1950年(昭和25年)ハリウッド美容専門学校校長に就任、93歳で没した。生長の家の熱心な信者でもあった[9]。
家族
栄典
著書
- 『モダン化粧室』寶文館、1931年
- 『美容師を志す人のために』ハリー・牛山, メイ・牛山(初代)共著、現人社、1933年
- 「ここに幸あり」ハリウッド 1974年
